ハロー! ニンニク入りチャーハンを食べた後の口臭のせいでアダ名がジンジャーになった中2の夏(´・ω・`)
どーも、スピカ(@Spica727_Mormon)です。

生姜だと気づいたのはだいぶ後です。しょーがない(´・ω・`)
わたくし立派なおっさんですが、こう見えても学生時代はハードロックやヘビメタそれなりに聴いてました。でもヘビメタファッションにはちょっと抵抗があったんですねー。何でかというと、
「十字架」
が、モチーフになってることが多かったからです。
モルモンと十字架
モルモンの教会には十字架がない!
多くの人にとって、キリスト教会を連想するときに、「十字架」がそのイメージの中に入ってくると思います。
しかしモルモンにとって十字架は、いわゆるシンボル的なものではありません。教会の屋根に十字架もついてません。礼拝堂に十字架もありません。十字架の描かれたステンドグラスもありません。故人のお墓に十字架はついていません。お祈りするときに胸の前で十字を切ったりはしませんし、ロザリオを握ったりもしません。
またファッションアイテムとして、十字架のネックレスをしたり、十字架マークの入ったTシャツを着けたりはしません。ただしファッションは基本的には個人の自由です。私自身は若いモルモンの子が、そういうアイテムを身に付けていたとしてもさほど気になりません。中には厳しい人もいますが。
モルモンの教会に十字架が無い理由
十字架は「死」の象徴です。新約聖書に記されているように、イエス・キリストは罪が全くないにもかかわらず、十字架の上で磔(はりつけ)の刑に処されました。しかしイエスの死は贖罪が完成するために必要なことでした。そしてその3日後に復活することにより、イエスは死を克服し、全人類に購いの効力がもたらされたのです。
そういうわけで、復活したイエス・キリストは現在でも生きており、いつの日かこの世に再びおいでになり、救いの業を完成させるということを信じるモルモン教徒にとって、「死」を象徴する十字架は不要となったのです。
モルモンが十字架の代わりに掲げるもの
「死」の象徴でなく「生」の象徴を
モルモンは「死」を象徴とする十字架を掲げる代わりに「生」を象徴するものを教会に掲げます。では「生」を象徴するものとは何でしょうか?
それは私たちひとりひとりです。私たちが現在この地上に生きて、キリストの業を推し進めようとするその姿こそが、私たちモルモンにとっての「生」の象徴なのだと思います。
モルモンひとりひとりが教会の象徴になる
モルモンであっても一般社会に生きているわけですから、世の人々とのいろいろなつながりが生じてきます。そして私たちは「世の光となる」ことが求められています。(新約聖書マタイによる福音書5:13-16)
会社でも学校でも地域でも、または顔の見えないSNS上であったとしても、常にモルモンの象徴として、正直に、清く、輝いていたいと思うわけです。
最後に
「でもスピカさんってツイッターでは結構この世に染まりきった発言をしてんじゃね?」と言うあなた!はい、その通りです(笑)
これからもよろしくお願いします!

最後までお読みいただきありがとうございました。
あなたにとって今日も明日もよい日でありますように!
コメント
LDSにとっては十字架は “死の象徴”、他の教会にとっては十字架は “贖いの象徴” なのです。
とらえ方はそれぞれですが、私は荘厳なステンドグラスの意匠や十字架にかけられたイエス様が飾られている教会の雰囲気も嫌いではありません。
ですよねー。ヨーロッパとかによくありそうなカトリック系の大聖堂とか、小さな教会で美しく飾られた十字架のイエス様とか、一度生で見てみたいです。日本でも各地のキリスト教会なんかに行くと、幻想的な雰囲気なところありますよね。モルモンの教会堂ってそういう意味ではクリスマスでも何か味気ない感じがします笑